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名古屋高等裁判所 昭和59年(く)20号 決定 1984年7月09日

抗告人 金成虎

主文

原決定を取り消す。

請求人に対し、金五万二二〇三円を交付する。

理由

本件即時抗告の趣意は、請求人の代理人弁護士浅井正が作成した即時抗告の申立書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、本件被告事件すなわち請求人に対する脅迫被告事件(愛知中村簡易裁判所昭和五五年(ろ)第一一号)の確定判決の理由中において、松田義弘に対し出頭呼出状と題する文書を郵送して同人を脅迫したとの事実について犯罪の証明を欠くと判示したが、この事実は同判決において有罪の言渡しを受けた「罪となるべき事実」との間で包括一罪の関係があるため同判決の主文において無罪の言渡しがなされなかつたところ、原決定は、かかる場合は刑訴法一八八条の二第一項にいう「無罪の判決」があつた場合にあたらないと解し請求人の本件費用補償請求を棄却したけれども、費用補償の問題は単なる罪数評価ではなく、実質的な審理の経過をみて判断すべきであり、原決定が、この点を判断することなく、形式的に右の理由により本件費用補償請求を棄却したのは、右条項の解釈を誤り、ひいては憲法四〇条の趣旨に違反するものであるから、原決定を取り消したうえ、前記事件の審理に要した費用のうち三分の一に相当する額の補償を求めるというのである。

そこで検討するに、まず関係記録によると、次の経緯が認められる。

1  検察官は、請求人を被告人として昭和五五年九月一九日愛知中村簡易裁判所に、ローンズヒツトの名称で貸金業を営む被告人が林基彦に対する返済請求にあたり別紙第一のとおりの脅迫文言を記載したローンズヒツト作成名義の文書を同人に郵送して同人を脅迫したとの事実(第一)と松田義弘に対する返済請求にあたり別紙第二のとおりの脅迫文言を記載したローンズヒツト作成名義の文書を同人に郵送し、引き続き、別紙第三のとおりの脅迫文言を記載したローンズヒツト代理人望月季雄作成名義の出頭呼出状と題する文書を同人に郵送して同人を脅迫したとの事実(第二)を公訴事実として公訴を提起し略式命令を請求した。

2  愛知中村簡易裁判所は、同月二六日検察官主張の前記第一、第二の各事実を認めて請求人を罰金八万円に処する旨の略式命令を発付したところ、請求人から弁護人を通じ正式裁判の請求があつたので、同裁判所は改めて通常の手続による公判審理を開始したのが本件被告事件である。そうして、同裁判所は本件被告事件について、別表記載のとおり、第一回公判期日から第一八回公判期日まで審理して終結したが、その間訴因変更や釈明により、検察官は、以上三個の文書の郵送(松田に対する別紙第二の文言を記載した文書の郵送は昭和五三年六月一二日ころで、別紙第三の文言を記載した文書の郵送は同月一八日ころである。)はすべて請求人と金竹男との共謀による犯行であり、この三個の文書の各郵送すなわち本件各犯行の実行行為はいずれも同人が単独で行なつかものであり、また、松田に対する二個の文書郵送は、一個の包括一罪にあたると主張するに至つた。

3  請求人及び弁護人は、右審理において、手続、実体の両面にわたつて種々の主張を展開したところ、実体面については、本件公訴事実のすべてにわたり、脅迫の構成要件該当性、故意、共謀などを争い、右各事実を証明するに足りる証拠けないとして無罪を主張し、更に、別紙第一と同第二との文言を記載した各文書については、請求人において金竹男がこれを被害者に発送することについての表象・認容はなかつた旨を、また、別紙第三の文言を記載した「出頭呼出状」については、右金が独自に考案して作成発送したものであつて、その作成や発送について請求人は何ら関知・関与していない旨をそれぞれ付加して主張した。なお検察官は、第一八回公判期日の論告中で、松田に対する前記「出頭呼出状」の郵送に関する請求人の主張に触れ、これを反駁して、請求人と金との間に文書による脅迫行為の共謀が成立したうえは、請求人が共犯者の身分を離脱したと認められない以上、仮に金が請求人と事前に打ち合わせることなく右文書を発送したとしても、その刑責を免れないなどと主張した。

4  前記裁判所は、審理の結果に基づき、第一九回公判期日において、請求人を罰金六万円に処する旨の判決を言い渡したが、その判決では、罪となるべき事実の第一として別紙第一記載の文言を記載した文書を林基彦に郵送して同人を脅迫したとの事実を掲げ、罪となるべき事実の第二として金竹男と共謀のうえ昭和五三年六月一二日ころ別紙第二記載の文言を記載した文書を松田義弘に郵送して同人を脅迫したとの事実を認定判示したが、別紙第三記載の文言を記載した「出頭呼出状」を同人に郵送して同人を脅迫したという検察官の主張に対しては、判決の理由中で、金竹男が検察官主張のとおりの脅迫文書郵送をしたことは認められるけれども、請求人が右文書を郵送することまで金竹男と通謀していたとの事実はこれを認めるに足りる証拠がなく、この点については犯罪の証明を欠くが、右事実は罪となるべき事実で認定した事実のうち別紙第二記載の文言を記載した文書の郵送という事実と包括一罪の関係にあるものと解されるから、とくに主文において無罪の言渡しをしない旨説示した。

5  弁護人は、昭和五八年一〇月二五日右判決を全部不服として名古屋高等裁判所に控訴の申立をし、次いで請求人も右同様控訴の申立をしたが(同年一一月四日受理)、請求人が、昭和五九年二月一五日控訴の申立を取り下げたため、同日、右判決は確定した。

以上の経緯が認められる。右経緯に更に関係記録を加えて考察すると、本件確定判決の理由中において犯罪の証明を欠くと判示された検察官主張事実は、この判決の罪となるべき事実のうち第二の事実として有罪とされた事実と日時が近接し、貸付金回収という目的、文書の郵送という行為、態様、被害者などを同じくしながらも、その行為の日時、文書の形式、内容などを異にし、それ故、右両者は包括一罪の関係があるとして起訴されたものではあるが、右起訴は、その記載に徴し、この二個の各郵送という事実が自然的な事実としてはそれぞれ別個独立の存在価値を有し、その二個のうちの一個だけでも独立して脅迫罪の構成要件を充足する事実であつて、右二個のうちいずれか一方が認められないときは他方の事実の限度でも脅迫罪として訴追を維持する旨の主張を包含していたもの(右の縮小認定は手続的にも訴因変更の手続をとることなく直ちになしうる関係にあつた。)とみられ、実際の審理においても、当事者はこの二個の文書の各郵送という事実を右のような性格の事実として、攻撃防禦の対象、審理の対象としていたものであることが明らかである。してみると、本件において、犯罪の証明を欠くとされた事実は包括一罪の一部として起訴されたものではあるが、ことを実質的にみる限り、それは独立の一罪として起訴され審理された場合と異なるところがなかつたということができる。

ところで、刑訴法一八八条の二第一項本文が、無罪の判決が確定したときは、国において、当該事件の被告人であつた者に対し、その裁判に要した費用の補償を認める趣旨は、罪を犯したとしてひとたび公訴を提起されるときは、たとえ、その者が無罪であつても、公判廷への出頭を義務づけられ、防禦のため弁護人を選任する必要を生じ、これらに関し、出費や損失を余儀なくされることにかんがみ、その者がその裁判に要した費用を補償するのが適切妥当な措置であり、これが衡平の精神にかなうものであるという点にあるものと解することができる。右法意に徴すると、こと費用補償の要否に関しては、単に検察官の起訴の形式や罪数、したがつてまた、これらによつて左右される無罪の判断の形式(主文か理由中か)のみによることなく、起訴及び審理の実情に照らし、事案ごとに実質に即して考察し判断すべきものであるところ、本件は、確定判決の理由中で犯罪の証明を欠くとされた事実と、この判決において有罪とされた事実のうちの一個とが形式上包括一罪をなすとして起訴されたのではあるが、前説示のとおり、起訴及び審理の実情に照らすと、その無罪とされた事実が独立の一罪として起訴され審理されたのと同一視しうる場合であり、かかる場合は、判決の理由中で犯罪の証明を欠くとされた事実について前記条項にいう「無罪の判決が確定した」場合にあたるものと解するのが相当である。

そうすると、原決定が、右と異なり、所論指摘の理由により本件費用補償請求を棄却したのは右条項の解釈適用を誤つたものといわなければならず、これが取消しを求める論旨は理由がある。

よつて、刑訴法四二六条二項により原決定を取り消し、更に次のとおり決定する。

請求人に対し、前説示の趣旨に照らし、前記のとおり本件判決の理由中で犯罪の証明を欠くとされた事実の審理に要した費用を補償すべきところ、関係記録によると、前記の第一回から第一九回までの各公判期日のうち、本件判決で罪となるべき事実として認定判示された事実の審理のみにあてられたことが明らかな第二回公判期日に関して要した費用を除き、その余の各公判期日においては、本件各公訴事実のすべてにわたつて共通に、あるいは不可分的に審理、判決が行われているのであるから、右各公判期日に関して要した費用はそれが本件各公訴事実中どの事実について要したものかを区別することができないと認められ、したがつて、本件では、関係記録によつて認められる本件審理の経過、弁護人の立証活動とその主張が認容された限度、起訴にかかる事実のうち犯罪の証明を欠くとされた事実が占める割合、この事実について前記判決が犯罪の証明を欠くとした理由などにかんがみ、第二回公判期日に関する部分を除き、別表計算書記載のとおり、刑訴法一八八条の六第一項に定める費用の範囲及び額について算出し、その合計額の三分の一をもつて犯罪の証明を欠くとされた事実の裁判に要した費用と認めるのが相当であり、これによると、請求人に対し金五万二二〇三円を交付すべきものと認められる。

以上の次第で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 山本卓 裁判官 杉山修 裁判官 鈴木之夫)

別紙第一

債務者林基彦は貸金の弁済意思がなく詐欺犯罪として刑罰の確定判決を受けるべく名古屋地方裁判所刑事部へ告訴申立中であり、六月三日迄に右林から示談の申出がない場合は、同人に対し、刑事訴訟法の規定により詐欺犯として、名古屋地方裁判所刑事二部において第一回の公判を行なう。

別紙第二

債務者松田義弘は貸金の弁済意思がなく詐欺犯罪として刑罰の確定判決を受けるべく名古屋地方裁判所刑事部へ告訴申立中であり、五月二四日迄に右松田から示談の申出がない場合は、同人に対し、刑事訴訟法の規定により、詐欺犯として、名古屋地方裁判所刑事二部において第一回の公判を行なう。

別紙第三

昭和五三年六月一九日午後一時までにローンズヒツトまで出頭なき場合は、本件についてなんら異議なきものと看做し、同月二〇日午前一〇時名古屋地方裁判所刑事二部において、詐欺犯罪確定の刑事裁判を行なう。

別表<省略>

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